尾道にゆくなら藤本さんに会いたい

観光

こんにちは。

ジャパンツゥリスト (株)の櫛です。

くし
くし

今日は、

広島の尾道ってどういうところ?

藤本さんってどういう人?

についてお話するよ。

今までは、ずっと広島市内や宮島のことを書いてきました。

広島と言っても西部地区は安芸の宮島というように安芸の国、

尾道も広島県ですが、備後尾道というように備後の国なので気質も文化もやはり違います。

ということで本日は尾道について書きます。

藤本乾物の藤本さんとの出会い

2000年に広島県中小企業家同友会の青年部に入っていたころ、尾道へ行くことがあり、そこで出会った藤本乾物の藤本さんと仲良くなりました。

藤本さんの藤本乾物は海岸通りにあります。

創業から100年以上続いている乾物屋さんです!

藤本さんとの出会いが尾道の素晴らしさを発見させてくれました。

藤本さんの案内で尾道を歩く

藤本さんに尾道を案内してもらいながら歩くと楽しい。

尾道はあちこちに古い建物や風情が残っていて、まるで、江戸時代や明治時代にタイムスリップしているかのよう。

藤本さんは商都尾道とおっしゃっています。

商売人が地域をつくり、守り、街を作って来られたのです。

その思いが尾道で商売を100年以上続けている藤本さんの言葉の端々に感じられます。

くし
くし

どうして100年もの長きにわたり商売を続けることができたのか

藤本さんにうかがってみました。

藤本さんがおっしゃるには、

尾道で100年続く企業が多い理由は、このような特徴があるからです。

  1. 尾道には養子文化があること
  2. 尾道には多くの祭りがあること
  3. 北前船の寄港地だったこと

商売をやっていると後継ぎ問題に悩むことがあります。

2代目とか3代目は多くの場合、会社をだめにすることが多い。

なぜかというと、小さい時から周りからチヤホヤされ、好きなものは自由に買ってもらえるような環境だと苦労をしたことがないから商売をやってもうまくいかないことが多いそう。

創業者は自身が苦労しているから我が子には苦労させまいと考えるのだが、苦労してきていないもので成功した人間はいない。

そこで、商都尾道の商売人は養子をもらったそうです。

苦労してきた人と自分の娘を養子という形で一緒にさせたわけです。

仲人(なこうど)というのは今は形骸化しているが、昔は二つの家の中を取り持つ大切な役割があったそうです。

養子になりその家に入ると先代の隠居がいるので、養子は立場がない。

そこで、考えられたのが祭りなのだそう。

養子にきた男たちはこの町内の祭りに精を出すことで自分の存在を認めてもらってきたというのです。

祭りは1週間くらい続くものもあったそうで、お酒や料理、宴会が毎晩続き、自分の町内が終わると、となり街の祭りへと賑わいは続いていったのです。

尾道には大きいものから小さいものまで、ものすごい数の祭りがあります。

今でも江戸時代から続いている祭りも多くあります。

それから、北前船により様々な文化や商人との交流がありました。

藤本さんの家も元は大阪の堺の商人なのだそうです。

この3つの特徴が相まって商都尾道が出来上がっているのです。

尾道に行かれるなら、こちらもどうぞ。↓

尾道商業会議所記念館

それでは、また。

ジャパンツゥリスト (株)

櫛 雅之(くし まさゆき)

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